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	<title>沖縄・ベトナム友好協会 &#187; ベトナム旅行記</title>
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	<description>沖縄とベトナムの架け橋となる</description>
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		<title>早春のベトナム・農村探訪調査へのいざない１</title>
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		<pubDate>Mon, 04 Apr 2016 06:32:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[沖縄・ベトナム友好協会]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[プロジェクト]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[早春のベトナム・農村探訪調査の旅へのいざない 　一昨年2014年2月は、日本の大雪のなかハノイ市ドンアイン村農村で夢のような交歓のひとときがあり、昨年9月には石川文洋さんとの平和ツアーで同じくハノイ市で産直事業を営んでい &#8230; <a href="http://www.oki-viet.org/?p=3297">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #ff0000;"><strong>早春のベトナム・農村探訪調査の旅へのいざない</strong></span></p>
<p><strong>　</strong><span style="color: #000000;">一昨年2014年2月は、日本の大雪のなかハノイ市ドンアイン村農村で夢のような交歓のひとときがあり、昨年9月には石川文洋さんとの平和ツアーで同じくハノイ市で産直事業を営んでいる日本の会社の人、提携している農家の方々と親しくお話しをし、近々ぜひ再び農村調査に来るという約束をしました。</span></p>
<p><strong>　</strong><span style="color: #333333;">その後の話し合いで以下のような、この3年間をまとめたような少人数の農村探訪・調査を企画しました。ベトナム農民との緊密な話し合い・交歓、ﾗｽﾄﾅｲﾄを飾る福島出身の本名徹次氏指揮の国立交響楽団のｺﾝｻｰﾄを最上クラスの席で鑑賞します。</span></p>
<p>参加者はいずれもベトナム大好き・農業大好きな方々です。両国の米作農家、流通体系、政府の農業政策・農産物価格政策、産直の試み・生産・流通・購買等協同化の経験・・・・。<img class="alignright size-thumbnail wp-image-3301" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2016/04/fd70f59f6ac0161968a26bc9690a7c851-150x150.jpg" alt="ベトナム農村調査１" width="150" height="150" /></p>
<p>両国ともに、高度成長のひずみとTPPなど国際関係のなかでの農業へのしわ寄せという悩みをもちながらも、歴史・現状・課題は違えど、懸命に自国の農業の保護のために熱意を燃やしている人たちの間での情報・意見の交換はきっと大きな実を結ぶことと存じます。</p>
<p>ご期待下さい！</p>
<p><em><strong>2016年3月ベトナム農村調査　日程</strong></em></p>
<p>3月7日（月）<strong>調査団入国<br />
</strong><strong>仙台13:00－15:30　ソウル（OZ151便）<br />
</strong><strong>　　　　　　　　　　　　　　ソウル19:20－22:10ﾊﾉｲ（OZ733便）<br />
</strong><strong>専用バスで　Minh Cuong</strong><strong>ホテルへ　Check in<br />
</strong><strong>　　　　　那覇20:50－21:35　台北（CI123便）桃園ﾎﾃﾙ or ﾓﾅｰｸﾌﾟﾗｻﾞ（送迎付き）</strong></p>
<p><strong>3月8日台北08:25－10:35　ﾊﾉｲ（CI791便）</strong></p>
<p>8日（火）<strong>那覇組　3月8日台北08:25－10:35　ﾊﾉｲ（CI791便<br />
</strong><strong>　　　　　　　　　　　　　　専用バスで　Minh Cuong</strong><strong>ホテルへ　Check in</strong>　　07:30　福島組　ホテルで朝食（那覇組は無し）<br />
18:30　 Dao Thuc村水上人形劇の鑑賞、芸能者との交流会・夕食<br />
21:00　Minh Cuongホテルへ戻る</p>
<p>9日（水）07:30　Dong Anh のMoc Thao Vien　レストランで朝食<br />
08:00　DonhAnh 県とLien Ha村の幹部への地方の農業発展、とくに</p>
<p>農業政策、流通分売価格について聴き取り調査<br />
11:30　Minh Ha68レストランで昼食、ホテルへ戻る<br />
14:00　Lien Ha農家への米作生産の経験交流<br />
17:00　農業合作社の庭先で農民との交流会（夕食、日越それぞれ民謡など披露)　20:30　Minh Cuongホテルへ戻る</p>
<p>10日（木）07:30　Moc Thao Vien レストランで朝食<br />
08:30　Lien Ha 村で農民への聴き取り調査・生産参加・交流<br />
11:30　Minh 68レストランで昼食、ホテルへ戻る<br />
14:00 Dong Anh 区安全安野菜栽培農場見学とDo Thi Lien野菜栽培協同</p>
<p>組合見学</p>
<p>18:00　ホテルへ戻って夕食<br />
19:30　ハノイで国立交響楽団コンサート鑑賞</p>
<p>11日（金）08:00　ホテルで朝食　以下、予定なし<br />
調査団帰国沖縄組11:35発　福島組23:40発<br />
ハノイ発11:35－15:10台北（CI792便）<br />
台北17:35－20:20那覇（CI122便）　沖縄組帰着</p>
<p>ハノイ発23:40－<br />
12日（土）05:35ソウル（OZ734便）<br />
ソウル09:00－11:10成田（OZ102便）<br />
成田―新幹線―福島　　　　福島組帰着</p>
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		<title>ベトナム平和ツアー2014年　農村交流</title>
		<link>http://www.oki-viet.org/?p=2833</link>
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		<pubDate>Tue, 31 Mar 2015 01:51:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[沖縄・ベトナム友好協会]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[イベント情報]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[ベトナム農村交流に参加した！ 鎌田　隆（沖縄国際大学名誉教授） 　はじめに 　今回の旅程をつくるコンセプトとして、前回の2012年平和ツアーとの重複は避けるが、重要な箇所は何度でも行くということで、前回のクチ地下トンネル &#8230; <a href="http://www.oki-viet.org/?p=2833">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>ベトナム農村交流に参加した！<br />
</strong><strong><br />
鎌田　隆（沖縄国際大学名誉教授）<br />
</strong><strong>　はじめに<br />
</strong>　今回の旅程をつくるコンセプトとして、前回の2012年平和ツアーとの重複は避けるが、重要な箇所は何度でも行くということで、前回のクチ地下トンネルからカンザーのマグローブ林に変更する一方で戦争証跡博物館とツーズー病院は変更なく組み込んだ。また、文化面と経済面のプランとして、民族学博物館、水上人形劇、農村訪問を取り入れた。<br />
これによって、①　マングローブ林→戦争証跡博物館→ツーズー病院を回ることで、枯葉剤被害を系統的に学べた、②農村交流の芽だしができた、③福島からの報告を期待できた。ただ、②③が前半ハノイ市であったことが、大雪で「ゆきどまり？（駄洒落）」で日本で足止めを喰った福島組のみなさんのみならずツアー全体にとって大きな打撃であった。<br />
今回の大きな課題を、①前半の農村交流・報告会と　②後半のベトナム戦争とくに枯葉剤被害（カンザー・戦争証跡博物館・ツーズー病院）として掲げた。</p>
<p><strong>　農民との交流・交換<br />
</strong>　筆者にとってのベトナム農村調査は2回目であった。第1回目は、2003年8月の南部メコンデルタのチャンジャン省ゴコドン県タンニャット村ビンタイ農業合作社での聴き取り調査であった（詳細は、拙著『ベトナムの可能性』2006年4月シイーム出版）。<br />
ベトナムでは、1975年ベトナム解放後南ベトナムでも一挙に農業集団化が実施され、行き詰まり、それが直接的要因となり、ドイモイ政策が開始された。<br />
大多数の合作社が解体されるなかで、上記合作社では、ドイモイ政策以後も良好な実績を挙げ残存する合作社であった。それでも、生産・供給・消費の全面にわたる協同化ではなく、生産手段の供給や生産物の供出で市場経済化された関係で、資本主義的企業を仲介するものであり、ドイモイの成果を踏まえて協同化された農業合作社として好結果を示していた。<br />
筆者にとっての2回目の今回は、農業調査というよりは、農民との交流という側面が強かった。だが、農村訪問については、旅程作成の初期の段階からその要求は大きかった。<br />
それには、第一の課題は、2010年おきなわ・ベトナム祭りのシンポジウムで来沖した、故桜井由躬雄東京大学名誉教授の影響が強かった。「昔、石垣島にアンナンという国の兄妹が稲の種をもって稲を教えた」「・・・西表島に・・・ニライカナイから渡来し、人々に稲を教えた・・・」というように、沖縄・日本への稲作伝承起源がアンナン（仏領インドシナ中北部）であったこと、水田の「耕起」に「蹄耕」「踏耕」などの東南アジア伝承の耕法が八重山にあった（いずれも桜井由躬雄『緑色の手帳』）、日本の稲作のルーツとしてのベトナム農業との交流への要求が強かったこと、</p>
<p>第二の課題は、沖縄・福島から農業関係者が参加して、日本農業とベトナム農業の歴史と課題、農業技術の交換など専門的な内容まで踏み込んでいけるという願望があった。<br />
例えば、①現今のベトナムでは主に自家用や富裕層・日本人向けに限定され未発達な、無農薬など有機農業について、②固有種農業（地場の伝統的種子での農作物栽培）について、一つは、日本の農家が技術指導・協力することがないか、二つに、たとえば、有機農法にしても基準を設定して認可取得を支援する態勢づくり、三つに、米作における土作りなど農業技術の交流・交換をともに考える。</p>
<p>第三の課題は、ベトナムにおける農業合作社の経験・課題と日本における農業協同化の現状の意見交換、などなど、日本・ベトナム共通の課題への意見交換と支援態勢を創出する。</p>
<p>第四の課題は、ベトナム特有の「農村から析出される労働力が共同体から離脱し得ない『離農不離郷』（前記桜井由美雄）」、すなわち、農業を離れても農村に居続けるという</p>
<p>ベトナム独自の状況の実態を実際に確かめたい。<br />
さらに第五の課題は、③近年のベトナムでの農地破壊やWTO加盟などによる食糧自給率の低下の傾向について、日本の戦後高度成長下の農業の衰退の実情からの問題指摘や対策を提案する。<br />
以上のような農村調査に際しての課題整理を、沖縄で提案し話し合った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>ドンアインの農家で<br />
</strong>　今回の農村訪問は、ハノイ市の近郊農村であるドンアイン地区農村である。<br />
バスは、幹道に停車して、それからは農道・畦道を進んだ。ちょうど紅河の水郷で豊かな水に囲まれた佇まいの農家の中庭に案内された。いわゆる「農業合作社」ではなく、個人農家の小さなグループのようである。<br />
庭の左右は池、正面の作業小屋・住居の背面は水田である。池には数百羽の家鴨が群れている。リーダーらしき農夫とその息子やその他10名ばかりの農民や子どもたちが応対してくれた。<br />
筆者からの挨拶と、訪問の趣旨説明では、上記のような当方の課題意識を披露した。しかし、春の大雪によって未だ到着できない福島の農業関係者と、沖縄側も準備不足・打合せ不足があり、上記問題提起に続く「二の矢」が出ないし、相手側からの回答も望むべくもない。<br />
農村調査の前提としての、農業経営形態、協同化の程度、農家数、農業従事者数、生産物の種類、生産額、農業収入、「ドイモイ」政策の成果・課題と展望など基礎的な事項・数字すら聴きだせなかった。これは、問題提起した筆者の責任として深く反省している。<br />
ついには、堅い議論はさておきという雰囲気から、家屋の向こう側の水田で、二期作の最初の田植えの現場を観た。耕作面積は日本と変わらない小規模な田んぼが続いている。区画ごとに2・3人のユイマールのような関係？の「早乙女」たちが、今では日本では珍しくなった手植えをしている。</p>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-2834" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2015/03/e484580438273f3768fe1d3024603178.jpg" alt="ドンアイン農村交流２.16" width="1024" height="768" /></p>
<p>夕間暮れの畦道で、参加者はそれぞれ質問をしている。筆者がリーダーの息子に「後継者はいるか」と尋ねたら、「自分の息子はもう農家は継がない」「六代目で途切れる」という。このハノイの近郊農村にまで都市化が押し寄せ、離農傾向が増えているのかと暗澹たる気持ちになった。あとは、全部自前の食材による料理に地酒の交歓会が始まった。当方からは台湾で買った洋酒をプレゼントした。女性の参加者は農家の女性たちと記念写真である。時あたかも（暦をみれば）如月の十六夜の月、「田毎の月」なんて今では使わなくなった季語を思い出していた。</p>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-2835" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2015/03/83f1f962d22db2ab50ed2bf6d2079d20.png" alt="農村家族" width="498" height="374" /></p>
<p>議論は決して深まらなかったが、白い月に照らされた墨絵のような幻想的なひとときであった。沖縄側は、これは準備万全の「芭蕉布」の二部合唱、最後は、子どもたちも輪に加わっての「カチャーシー」で座は最高に盛り上がった。</p>
<p>私の前回の農村調査は、筆者個人と専門知識をもつ通訳との調査であった。この日は、農村との出逢い、交歓会・交流会であって、調査や経験・技術の交流は次の段階であると割り切ったら、成果を誇ることができるであろう。沖縄・福島側もベトナム側も再会を期する雰囲気は出来た。福島の農業関係者は、農業技術の交換のための資料も報告の準備もできていた。福島側の稲田提供による農業を通した福島・沖縄の交流が始まった。沖縄側参加者は8月から農業研究会を立ち上げ、次の機会に備える。</p>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-2837" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2015/03/3e6f5a184de456ab0dded0988929dc46.png" alt="スナップショット 2 (2015-03-31 9-26)" width="498" height="374" /></p>
<p>白い月に照らされて帰りに着く沖縄・福島の参加者と見送るベトナム側の農民たちの影絵のような姿が畦道に続く、再会を期して・・・。</p>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-2838" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2015/03/ab750781fefac0f2e9257c4e92dc5f12.jpg" alt="農村交流" width="640" height="425" /></p>
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		<title>「子どもたちがみた戦争と平和」展</title>
		<link>http://www.oki-viet.org/?p=1171</link>
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		<pubDate>Wed, 27 Jun 2012 14:10:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[沖縄・ベトナム友好協会]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[イベント情報]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム旅行記]]></category>
		<category><![CDATA[会員お知らせ]]></category>
		<category><![CDATA[活動情報]]></category>

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		<description><![CDATA[日本・沖縄とﾍﾞﾄﾅﾑの平和・文化交流事業 ﾍﾞﾄﾅﾑ戦争当時、米軍B52爆撃機が飛び立った米軍の最前進基地であった沖縄は、ﾍﾞﾄﾅﾑの人たちから「悪魔の棲む島」と恐れらました。その辛い体験のなかから、沖縄・ﾍﾞﾄﾅﾑ友 &#8230; <a href="http://www.oki-viet.org/?p=1171">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>日本・沖縄とﾍﾞﾄﾅﾑの平和・文化交流事業</strong></p>
<p>ﾍﾞﾄﾅﾑ戦争当時、米軍B52爆撃機が飛び立った米軍の最前進基地であった沖縄は、ﾍﾞﾄﾅﾑの人たちから「悪魔の棲む島」と恐れらました。その辛い体験のなかから、沖縄・ﾍﾞﾄﾅﾑ友好協会という市民による国際友好団体が結成されました。<br /> この度の展示会はHCM市戦争証跡博物館のご厚意と、HCM市友好連委員会などの協力により、展示します。<br /> 展示される作品は、沖縄県平和祈念資料館が全県から募集した「児童・生徒の平和ﾒｯｾｰｼﾞ（絵画・詩・作文）ｺﾝｸｰﾙ」の入賞作品から選ばれ、学芸員が構成した「今、ぼくにできること」というﾌﾟﾛｾｽ企画展の作品と、世界中でもっとも平和を愛するﾍﾞﾄﾅﾑの子どもたちの描いた、戦争と平和の絵画などをﾍﾞﾄﾅﾑの多くの市民のために展示するものです。<br /> 沖縄の子どもたちが感じたこと、ベトナムの子どもたちが感じたこと、戦争と平和に対する「まっすぐ」な目と表現は、ﾍﾞﾄﾅﾑの人々の心を打つであろうと考えます。ご家族お揃いでおいで下さい！</p>
<p><img class="aligncenter size-large wp-image-1176" title="案内看板Ⅱ" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2012/06/3597eb5610ba91f1c805878a74f05b142-480x319.jpg" alt="" width="480" height="319" /></p>
<p align="right">主催　沖縄・ベトナム友好協会　協賛　HCM戦争証跡博物館　HCM友好連合委員会</p>
<div style="display: none">zp8497586rq</div>
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		<item>
		<title>フエﾌｪｽﾃｨﾊﾞﾙと企画ツアーの成功</title>
		<link>http://www.oki-viet.org/?p=1136</link>
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		<pubDate>Sun, 29 Apr 2012 11:13:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[沖縄・ベトナム友好協会]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[イベント情報]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム旅行記]]></category>
		<category><![CDATA[会員お知らせ]]></category>
		<category><![CDATA[活動情報]]></category>

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		<description><![CDATA[フエフエステバルと企画ツアーの成功 ベトナム中部の古都フエで隔年開催されるフエフエステバルは、ベトナム観光年の2012年4月、世界５大陸24か国30以上の芸術団体から500人、ベトナム国内20余の地域文化芸術団体を合わせ &#8230; <a href="http://www.oki-viet.org/?p=1136">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="text-decoration: underline;"><span style="color: #ff0000; text-decoration: underline;"><strong>フエフエステバルと企画ツアーの成功</strong></span></span></p>
<p>ベトナム中部の古都フエで隔年開催されるフエフエステバルは、ベトナム観光年の2012年4月、世界５大陸24か国30以上の芸術団体から500人、ベトナム国内20余の地域文化芸術団体を合わせて約1,500人を超す演者が織りなす世界規模の一大文化祭典となった。本友好協会は、協会独自の歌舞団と記念ツアーの組織で参加し、成功を収めた。沖縄一流の伝統文化と紹介、そのための一流の芸術家の組織と、ホームステイの経験が、沖縄からの参加者とベトナムの家庭に与えたそれぞれの教訓はこれまでになく貴重であり、沖縄とベトナムのより緊密な友好親善の実を挙げたといえよう。<br /> 第一に、沖縄の古典舞踊の師匠たちが流派を超え自費参加して、県内でも実現できない超一流の夢の協演である。舞踊団は、舞踊家７名、三線・筝・太鼓など奏者５名、古武術演舞者１名の13名から構成され、貫花、四つ竹などと古武術を合わせて10の演目を異なった所作の手合せから始まり、それぞれの楽器、小道具、衣装、被り物などを自らの手で運び、満場の観客に琉球伝統の芸術の香りを届けて魅了した。各芸術家の方々の文字通りのボランテイア的な献身的尽力がなければ成功はなかったといえ、深く感謝する次第である。</p>
<p>以下、第1部　歌舞団への呼びかけ・結成から実演当日、旅行全体を組織した、仲村千恵子理事の旅行メモと写真、第2部　ベトナムの一般民家にホームステイしてカルチュアショックを受けたメンバーの手記と写真から、その沖縄からの「文化使節」を果たした、友好親善の使者たちの活躍ぶりを紹介しよう。</p>
<p>第1部　歌舞団の結成と海外公演</p>
<p>(1)過去2回とは違って、友好協会自前の歌舞団を結成するために、仲村理事はまず過去に海外公演でお世話をした琉球舞踊家の一人ひとりに面会して意義を訴え要請した。一度は断念した今回のフエフエステバルへの参加が、この努力によって、歌舞団の結成、記念企画ツアーの実施につながる<br /> (2)仲井眞知事への表敬訪問・記者会見<br /> 4月3日昼前、9名の歌舞団員と友好協会役員5名は、仲井眞弘多沖縄県知事を表敬訪問しフエステバル参加を伝え、知事からはその前にフエ省知事からの招待への鄭重な返書が託された。その後県庁第１記者クラブで、沖縄県民への呼びかけがなされた。席上、宮城律子・琉舞無憂華の会師範から「おきなわの伝統芸能や音楽の薫りを届けて喜んでもらい、交流の小さな種が生まれることを望む」旨の発言がなされた。</p>
<p><img class="aligncenter size-medium wp-image-1141" title="知事表敬訪問" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2012/04/9ea8d6fccf4ce88ebc95160ea72248a71-230x153.jpg" alt="" width="230" height="153" /></p>
<p><img class="alignright size-thumbnail wp-image-1142" title="記者会見" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2012/04/1155855763349d13d04435c9235a10782-150x150.jpg" alt="" width="267" height="237" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>２．出発から開会式まで<br /> 4月6日朝　普通ならお弟子さんが運ぶであろう大きな楽器、衣装、被り物、小道具などを各自携えて、那覇国際空港を出発、台北―ホーチミンを経て目的地フエに到着したのはもう夜も更けていた。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-1157" title="歌舞団の大道具那覇国際空港その２" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2012/04/ea110af1ec17f86b2b0a14b4c47b16401-230x153.jpg" alt="" width="230" height="153" /></p>
<p>4月7日　入手困難な開会式チケットはフエ沖縄文化交流センターの手で確保され、午後8時、折からの雨も上がり、フエの王宮を背景にした特設舞台で、華麗で民族色豊かな演舞や王宮上空に打ち上げ花火でフエステバルの開会を祝った。</p>
<p><img class="aligncenter size-medium wp-image-1149" title="会場７" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2012/04/5fe2acb95395865d630fc257b47325891-230x153.jpg" alt="" width="230" height="153" /></p>
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<p>３．現地中学生、大学生らとの文化交流会、表彰式<br />朝9時から、フエ師範短期大学での交流会には、グエン・チー・フオン中学ら３中学から90名、フエ外国語大学・フエ師範短期大学生ら160名、またフエ各国友好協会連合会会長、フエ越日友好協会会長、校長ら来賓が会場を埋めるなか、沖縄の歌舞団が舞踊や空手演武を披露、また、現地中学、大学生らもそれぞれ演技をし、フエ側、沖縄側からの<br /> 友好連帯の挨拶もあり、友好の輪を広がった。</p>
<p><img class="aligncenter size-medium wp-image-1148" title="フエ師範短期大学での文化交流" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2012/04/45fa2dfe556702564ae4417d07ddd8bc3-230x344.jpg" alt="" width="230" height="344" /></p>
<p>４．その後、市内ホテルでは、各国代表へのフエ省招待の感謝パーテイが開かれ、それぞれに、フエ省からの感謝認定証が授与された。このオールカラーの美しい賞状は、後にカラーコピーされ、公演記念として沖縄歌舞団の全員に授与された。<br /> 沖縄代表も舞踊を披露し、カチャーシーには各国代表も加わり、友好の雰囲気が盛り上がった。また、席上、フエ省知事宛ての沖縄県知事からの親書も手交された。</p>
<p><img class="aligncenter size-medium wp-image-1150" title="フエ省から歌舞団への感謝状授与" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2012/04/74828d25bb413c54c0c3b2d1708d304a-230x153.jpg" alt="" width="230" height="153" /></p>
<p>５．フエステバルでの公演当日<br /> 4月8日夕刻　フエ王宮内ダイクン門前庭に設置された特設舞台で、沖縄歌舞団総勢13名が、四つ竹や貫花、空手実技など10の演目を披露した。会場客席を埋める約200名の世界中から集まった観客を魅了した。当初はダイクン門内での公演の計画であった。<br /> 一流の琉球舞踊の質の高さはいうまでもないが、地方（じかた）を務めた唄三線、筝、太鼓らの活躍も特筆されるべきであり、わずか数名のリズムとハーモニーで琉球文化の世界を創造する技は見事で、地元テレビ局も取材していた。</p>
<p><img class="aligncenter size-medium wp-image-1151" title="地方の取材" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2012/04/2027df6cbae8e1ffca566b308de4bd09-230x153.jpg" alt="" width="230" height="153" /></p>
<p>また、髪結い（ウチーカンプー）の技術をもったメンバーが全部の演目の準備を成し遂げたし、化粧や着付けも自前で仕上げた。このような少ないメンバーでのやり繰りの尽力が華麗な舞台を支えたと言えよう。<br /> しかし、本来なら1人当たり相当の時間がかかるであろう、髪結い、化粧、着付け、早変わりなどの、幕間を地方の演奏で繋いだが、その空白にかなりの観客が席を立った。限られた費用での海外公演ということでやむを得ないところもあったが、素晴らしい演技であっただけに残念であった。</p>
<p><img class="alignleft size-medium wp-image-1152" title="四つ竹" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2012/04/1510aad71a1015f14fbb8c796e485f99-230x153.jpg" alt="" width="230" height="153" /></p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-1154" title="観客風景" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2012/04/72862e55900a23ad42c05e249dd9ffa21-230x153.jpg" alt="" width="230" height="153" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>８．帰国、解団式、感謝パーテイ<br /> 帰国後しばらくして、4月26日、沖縄市のベトナム料理店シンチャオで、歌舞団への友好協会主催の感謝パーテイが開催され、歌舞団のメンバー一人ひとりに友好協会からの感謝状と写真アルバムが授与され、前述フエ省からの美しい認定証が伝達された。</p>
<p><img class="alignnone size-medium wp-image-1155" title="認定証_フエフェスティバル2012" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2012/04/445d2d5fb6538f4f2d871f36bbb537de-230x327.jpg" alt="" width="230" height="327" /></p>
<p>（注）文中一部、鎌田　隆「沖越文化交流に実り」『琉球新報』2012年4月29日号から転載<br /> 以下、第二部は次回掲載</p>
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		<title>鎌田 隆  学術平和の旅  ５回連載</title>
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		<pubDate>Tue, 11 Oct 2011 07:57:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[沖縄・ベトナム友好協会]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[ベトナム旅行記]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム経済情報]]></category>

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		<description><![CDATA[第３回　旅の展開―ハノイからホーチミンへ 　10．ハノイの大型スーパー買い物の見学   夕食までの時間にｽｰﾊﾟｰを見学した。ﾍﾞﾄﾅﾑでも2000年頃からｽｰﾊﾟｰﾏｰｹｯﾄが急増したが、2004年6月に、売り場面積規 &#8230; <a href="http://www.oki-viet.org/?p=1022">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>第３回　旅の展開―ハノイからホーチミンへ</strong></p>
<p><strong>　</strong><strong>10</strong><strong>．ハノイの大型スーパー買い物の見学<br />
  </strong>夕食までの時間にｽｰﾊﾟｰを見学した。ﾍﾞﾄﾅﾑでも2000年頃からｽｰﾊﾟｰﾏｰｹｯﾄが急増したが、2004年6月に、売り場面積規模で専門ｽｰﾊﾟｰ（250㎡超）、総合ｽｰﾊﾟｰ（500㎡超）に区分された。2009年のWTO加盟により、流通業界への外資単独進出が可能になり、METRO、COOPMART、Big Cなどがそれぞれ進出している。</p>
<p>今回、ベトナム土産品購入のために訪れたのは、Big Cｸﾞﾙｰﾌﾟ（ﾌﾗﾝｽのｶｼﾞﾉ・ｸﾞﾙｰﾌﾟ傘下）のﾊﾉｲ・Thang Long店であった。<br />
  １階がﾌﾞﾗﾝﾄﾞｼｮｯﾌﾟで、長いｴｽｶﾚｰﾀｰで2階に上がるとｽｰﾊﾟｰﾏｰｹｯﾄになっている。売り場面積10,000㎡、ﾚｼﾞが100台並ぶ大型店舗であり、食糧品、衣料品、薬品、電気製品などの外、ﾍﾞﾄﾅﾑ人の生活必需品のﾊﾞｲｸなども販売し、炊事用品の説明販売もあった。買い物客は出口でｶﾞｰﾄﾞﾏﾝにﾚｼｰﾄをﾁｪｯｸされて、何かものものしかった。<strong>（写真10）</strong></p>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-1023" title="ハノイ大型スーパー" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2011/10/485dd48ed8d36c54c608df0ecf566ec3.jpg" alt="" width="292" height="239" /></p>
<p><strong>11</strong><strong>．シルクの村ハドン、ハノイ名物ブンチャ</strong></p>
<p><strong>  </strong>前日の多忙さも一夜明け、もう今日はﾊﾉｲからﾎｰﾁﾐﾝへの移動日である。<br />
午前中、ﾊﾉｲから近い観光地、木版画で知られたﾄﾞﾝﾎｰ村（車で１時間）、陶器が世界的なﾌﾞﾗﾝﾄﾞでもあるﾊﾞｯﾁｬﾝ村（車で30分）などと同様、ｼﾙｸ製品の製造・販売で有名なﾊﾄﾞﾝ村（車で20分）へ向かう。製造工場では、織機がｶﾞﾁｬﾝｶﾞﾁｬﾝと大きな音を立ててｼﾙｸ布を織っている。筆者にとくに目当てのものはなかったが、つい最近神奈川へ帰った孫2人の顔が浮かび、ﾎﾟｼｪｯﾄをいくつも買ってしまった。小さな商店街の道端で、砂糖黍やｺｺﾅﾂのｼﾞﾕｰｽなどでのどを潤した。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-1034" title="ハドンのシルク村" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2011/10/95bbc11f539e828d372724117c1335d92.jpg" alt="" width="315" height="233" /></p>
<p>昼食はﾊﾉｲ名物ﾌﾞﾝﾁｬを味わう。ﾍﾞﾄﾅﾑと言えばﾌｵｰという米粉のうどんで有名であるが、北と南でも麺にはいろいろある。ﾌﾞﾝという米麺を甘酸っぱいﾀﾚにつけて食する。店にはいると、ﾀﾚとともに、盛り付けの揚げ春巻き、炙った肉、ﾂｸﾈ、香草が出てきた。また大皿山盛りの麺が出てきてびっくりしたが、案外さっぱりした味でいくらでも入る。筆者としては、ﾍﾞﾄﾅﾑ料理の中でﾍﾞｽﾄｽﾘｰに推薦したい程美味く、再来・再食したい店であった。<strong>（写真11・12）</strong></p>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-1035" title="ハノイ名物ブンヤン" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2011/10/cc6ff1b58d2248b82d66f8885e8c73371.jpg" alt="" width="331" height="236" /> </p>
<p><strong>12</strong><strong>．喧噪のホーチミン市へ</strong></p>
<p><strong>  </strong>ﾊﾉｲ市からﾍﾞﾄﾅﾑ航空でﾎｰﾁﾐﾝ市へ約２時間。ﾊﾉｲ市にもまして凄いﾊﾞｲｸの群れ、喧噪、活気・・・。やはり経済の中心地である。<strong>（写真13）</strong></p>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-1026" title="喧騒のホーチミン" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2011/10/7343567f76e9bd0d88b443118cdcafa8.jpg" alt="" width="343" height="237" /></p>
<p>こちらのｶﾞｲﾄﾞさんはいかにもﾍﾞﾄﾅﾑの若者という感じの男性。市内の中心地にあるﾎﾃﾙに到着。筆者は、何年か前、当地でお世話になった岡山県出身でﾎｰﾁﾐﾝ市で「広場」という名前の日越交流のための喫茶店の店主であった男性とそのｸﾞﾙｰﾌﾟと出会う。</p>
<p>夏の長い日もようやく傾く頃、ｻｲｺﾞﾝ河のﾃﾞﾅｰ・ｸﾙｰｼﾞﾝｸﾞへ出かける。広い道路のﾊﾞｲｸの奔流を無事渡り切って船に乗り込む。３階建て位の客船で、我々の陣取った１階には100名程の客か？</p>
<p>隣席の韓国人ｸﾞﾙｰﾌﾟが大騒ぎし、舞台では炎のｼｮｰなんかで盛り上がっている。ﾍﾞﾄﾅﾑ料理のｺｰｽが出切った頃、船はやっと桟橋を離れた。涼風が頬をかすめる。いっときの贅沢の時間が過ぎる。<strong>（写真14）<img class="aligncenter size-full wp-image-1027" title="サイゴン河ｊのディナークルーズ船" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2011/10/03afe369eab52c18e9c97a8eefb9bb89.jpg" alt="" width="348" height="232" /></strong>                                              銅鑼が鳴り至福の川風頬摩る(さす)<br />
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　<strong>13</strong><strong>．</strong><strong>激戦語るク</strong><strong>チトンネル</strong><strong></strong></p>
<p><strong> </strong><strong>　</strong>8月23日（火）</p>
<p>　早朝早くﾎﾃﾙを出発して、ﾎｰﾁﾐﾝから西北へ70kmのｸﾁﾄﾝﾈﾙへ、ここは参加者の見学希望が強かった戦場跡である。1960～1974年当時、元南ﾍﾞﾄﾅﾑの首都ｻｲｺﾞﾝ（現ﾎｰﾁﾐﾝ）への解放軍の攻撃の強大な陣地であった。地下250km、2層3層にも及ぶﾄﾝﾈﾙは、解放軍の陣地であり、作戦本部であり、ｸﾁ住民の住居、工場、病院・・・など生活の拠点でもあった。</p>
<p>　ﾄﾝﾈﾙは最終的にｻｲｺﾞﾝ河に通じていて、周辺地域の密林には米軍の枯葉剤が徹底的に散布されて、今蘇っている緑の林は、当時真っ白にやがては枯れ野に変化した。ｹﾞﾘﾗ戦の解放軍は、地域住民とともに地下に潜る外なかった。そこには、祖国を守り人民を守り平和と独立を守るために立ち上がった解放軍による人智を尽くした様々な創意工夫がなされていた。地下ﾄﾝﾈﾙの入り口は直径30cmもなく、枯葉で覆い隠されている。狭いﾄﾝﾈﾙは大柄の米兵には通行が至難である。地下の炊事場からの煙は遠く離れたところから地上に排出される。地上には米兵用の落とし穴があちこちに仕掛けてある・・・。</p>
<p>　そうした解放軍の作戦を学びﾄﾝﾈﾙに潜り、ﾍﾞﾄﾅﾑ人民の祖国解放のための戦いを追体験する。私たちも驚嘆し感服しつつ、ｺｰｽを進んだが、緑深い森林のなかから静寂を破るような耳をつんざく爆発音が時折静寂を破る。幾ばくかの料金で実弾が打てる射撃場である。<br />
   筆者は、あたかも沖縄にいるかのような気がして思わず「実弾射撃はんたいー」と叫んでしまった。戦争を厭い平和について考えるために来たものにとって雑音でしかない。<strong>（写真15）</strong></p>
<p>　<img class="alignleft size-full wp-image-1028" title="クチの地下トンネル" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2011/10/004e72ecf29c27281d34b3f7ae388779.jpg" alt="" width="332" height="232" /></p>
<p>　トンネルの闇に戦士の意気思う</p>
<p>　　　</p>
<p>　　</p>
<p> <strong>14</strong><strong>．侵略者の罪を告発する戦争証跡博物館</strong><strong> </strong></p>
<p><strong>　</strong>ﾎｰﾁﾐﾝ市にとって帰り、今度はｱﾒﾘｶなどの戦争犯罪を暴く戦争証跡博物館を見学した。さっきまでは、祖国の自由と解放のための人智を尽くした現場で、人間の尊さ、美しさを実感したが、今度は侵略者たちがいかに外国を侵略するために「有効」な兵器は何かをそれこそ人智を尽くして考えた様々な兵器、戦争犯罪である地域住民をいかに多く殺傷するかだけを目的とした兵器が展示してあった。ここでは人間の愚かさや醜さを感じた。</p>
<p>　その愚かな企ての結果としての、ﾍﾞﾄﾅﾑ国民の悲惨な情景が、日本も含む世界中の写真家の手によって白日の下に暴かれている。襤褸切れのように米兵の手で持ち上げられたﾍﾞﾄﾅﾑ</p>
<p>人の遺骸、あの忌まわしい枯葉剤の結果としての奇形児たち・・・。事実は一目瞭然　これらの戦争で、誰が正義でどちらが不正義かは誰の目にも明らかである。<strong>（写真16）</strong></p>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-1040" title="戦争証跡博物館" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2011/10/c4389e8d00284cf336b13849d40ac3e21.jpg" alt="" width="322" height="235" /></p>
<p><strong></strong> </p>
<p><strong>15</strong><strong>．ペンタイン市場を見学</strong><strong></strong></p>
<p><strong> </strong>　1914年に設立という長い歴史のﾍﾟﾝﾀｲﾝ市場は、ﾎｰﾁﾐﾝ市民の台所としてより、観光ﾎﾟｲﾝﾄとして有名である。1,000以上もの店が４つのﾌﾞﾛｯｸに分けられている。どの店も商品一杯、それも貴金属から衣料、雑貨、食糧と様々、ある店は履物たとえば草履が山のように積み上げてあったり、またある店は食糧品なら何でも来いと取り揃えている・・・。いかにもﾍﾞﾄﾅﾑの豊さの象徴のようである。私たちは、ｶﾞｲﾄﾞの注意を守り集団で歩いた。
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		</item>
		<item>
		<title>2011年8月ベトナム学術平和の旅</title>
		<link>http://www.oki-viet.org/?p=1007</link>
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		<pubDate>Sat, 08 Oct 2011 16:45:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[沖縄・ベトナム友好協会]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[ベトナム旅行記]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム経済情報]]></category>

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		<description><![CDATA[4．   友好を温める夕  夕食は、去る8月10日の沖縄・ﾍﾞﾄﾅﾑ友好協会創立20周年に合わせて来沖した、ﾍﾞﾄﾅﾑ各国友好協会連合会長Vu Xuan Hong氏招待の晩餐会である。筆者のために準備してくれたﾚｽﾄﾗﾝ &#8230; <a href="http://www.oki-viet.org/?p=1007">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>4．   </strong><strong>友好を温める夕</strong><strong> </strong></p>
<p>夕食は、去る8月10日の沖縄・ﾍﾞﾄﾅﾑ友好協会創立20周年に合わせて来沖した、ﾍﾞﾄﾅﾑ各国友好協会連合会長Vu Xuan Hong氏招待の晩餐会である。筆者のために準備してくれたﾚｽﾄﾗﾝはかつてはｲｷﾞﾘｽ人の経営であったといわれる瀟洒というか小粋な感じのあまり大きくない店である。午前中面談したｼｬﾄｰﾋﾙｽﾞの安里社長、Hong氏の側近の連合会ｱｼﾞｱｱﾌﾘｶ地域担当者Nguyen Van My氏も同席した。次々に運ばれるｺｰｽ料理に追いつかないままに、Hong氏の沖縄土産話が続く。同氏の沖縄に対する高評価の証しか、乾杯が何回も繰り返される。17年前からの久方ぶりの訪日は、国会議員でもあるHong氏の多忙な日程のなかで沖縄に合わせてのものであった。今後は毎年行くとの約束まで出た。筆者からは、日本とﾍﾞﾄﾅﾑの学術・平和交流についての支援を要請し、Hong氏は300名収容の会場の提供などを約した。安里氏からはﾍﾞﾄﾅﾑ人従業員とのﾃﾄ前夜の飲み会や趣味の油絵の話が出る。終始笑いが出る。Hong氏の片言の日本語が飛び出す、何かﾊｲｿｻｲﾃｰ？な友好親善の夜が更け、筆者は会長車で宿舎まで送られた。明日は東京組との合流である。<strong>（写真５）</strong></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-1008" title="hong会長招待の晩餐会" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2011/10/faee06927d581d92e96b91e852ad1e36.jpg" alt="" width="433" height="300" /></p>
<p><strong> </strong></p>
<p><strong>5．   </strong><strong>フランスの残した犯罪の証し</strong></p>
<p><strong></strong>　8月20日（土）<br />
最初、筆者には事情が掴めなかった。あまりにもきれい過ぎる。派手な黄色の壁の入り口の背後に、高層のﾊﾉｲﾀﾜｰという高級ﾏﾝｼｮﾝが控えている。しかし、入場券を買って内部に入ると気持ちが一変した。</p>
<p>ここは、ﾎｱﾛｰ収容所、1887年から1954年まで続いた仏領ｲﾝﾄﾞｼﾅ、そのﾌﾗﾝｽ支配に抵抗し祖国の自由と独立を求めるﾍﾞﾄﾅﾑ人を投獄し拷問し、死に追いやった忌まわしいこの刑務所は、1896年に造られた。当時の敷地の後ろ3分の２はﾊﾉｲﾀﾜｰなどが入った高層ﾋﾞﾙに変貌したが、残された部分でも十分に、その忌まわしさを伺うことができる。</p>
<p>ある部屋は、座禅道場のように壁に背を向けて横一列になった人々が両側に並びそのすべてが足枷で拘束されている。またある部屋ではまるで梯子の一部分に首を挟まれた形で自由を奪われている。ある部屋は女囚のため、また子どものいる母親のため、また、独房の続く暗く狭い廊下も・・・。ﾌﾗﾝｽ革命時登場したｷﾞﾛﾁﾝ（断頭台）は思いの外、背が高い。</p>
<p>外壁のﾚﾘｰﾌが当時のﾌﾗﾝｽによる拷問とそれに抵抗するﾍﾞﾄﾅﾑ人収容者のありさまを示している。1954年ﾌﾗﾝｽ撤退後はﾍﾞﾄﾅﾑ政府に移管されたが、このﾎｱﾛｰ収容所は、ﾌﾗﾝｽが一時期ｱｼﾞｱに残した絶対忘れてはならない歴史上の一大汚点を示すものとして、末代まで引き継がれていくべきものであろう。<strong>（写真６）</strong></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-1009" title="ホアロー収容所" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2011/10/99d38dfcec5c40ddd43a713a0fcf6066.jpg" alt="" width="397" height="285" /></p>
<p><strong>6．   </strong><strong>ハノイ観光のはじまり</strong><strong></strong></p>
<p><strong> </strong></p>
<p>午後、ﾎﾃﾙで東京組と合流した。明治大学・千葉商科大学の教員など4名である。</p>
<p>最初の日程は、民族博物館、続いて水上人形劇である。土曜・日曜日は公的機関は休業、こうした観光地しかない。</p>
<p>ﾍﾞﾄﾅﾑは8,000万人人口ながらﾍﾞﾄﾅﾑは54という多民族国家である。この博物館は、そうした種々の民族の特性、民俗、習慣、生活、衣食住、民具などを紹介し、屋外では実寸の高床式など様々な民家が立ち並ぶ、子どもたちにもやさしく理解できることで地味ながら人気のある博物館である。</p>
<p>ついで、ﾎｱﾝｷｴﾑ湖畔にある水上人形劇場に入った。筆者はこの数回は、人形より囃子方の方に関心をもって鑑賞している。一弦琴や太鼓など民族楽器、また、甲高い声の台詞で物語を進める係などあたかもｵｰｹｽﾄﾗによる交響詩のようで興味深い。人形の動きには依然と大した変化はなかったが、終幕で、これまでは人形使いが舞台に現れて人形の操り方の種明かしをしていたのが、今回の人形師自体が登場人物となって表で出てくる演出はあまり感心しなかった。</p>
<p>ﾍﾞﾄﾅﾑの水上人形劇（Roi Nuoc）は、9世紀中国宋代の「水傀儡」の流れを汲むもので、12世紀以前に紅河ﾃﾞﾙﾀの稲作地帯で演じられていたものである。現在、この劇場のような定席の外にも、農村の池で行われる伝統的なものもある。この劇場はいつ来ても満席、ｴﾋﾟﾛｰｸﾞで観客が西の人も東の人も一緒になって拍手する光景は、ﾍﾞﾄﾅﾑを代表する出し物になったという感を強める。</p>
<p>夕食は、ちょっと豪華なﾍﾞﾄﾅﾑ料理と酒で最初の夜を過ごした。</p>
<p>外国(とつくに)の酒に浸りし夏の夕</p>
<p><strong>7．   </strong><strong>ホーチミン詣で</strong><strong></strong></p>
<p><strong> </strong></p>
<p>8月21日（日）</p>
<p>今日は日曜日で余裕があるなんて思っていたら、予ねてから要請していた件が2件突然日程に入り込んできて多忙な1日になりそうである。その一つは、折角大学教員が揃って訪越するのだから、全員でﾐﾆ連続講座を開講しようという話が6月にﾊﾉｲで出て、先生方全員の了解は得られた。問題は受け入れ側の問題が二転三転してなかなか決まらない。</p>
<p>当初は、ﾊﾉｲ市越日友好協会会長を経てﾊﾉｲ国家大学で開こうという話であったが、ちょうど夏期休暇・入学試験で対応できない。</p>
<p>折から沖縄へ市場調査にきていたﾍﾞﾄﾅﾑ社会科学院一行のうちの経済研究所長Tran DinhThien氏に直談判したら、ﾊﾉｲ国立大学は自然科学系が中心でしかも夏期休暇・入学試験で対応できないであろう、私（社会科学院経済研究所）が引き受けようということで、日程・講師・ﾃｰﾏ・時間などを詳細に送った。結局、こちらも多忙で無理ということになったが、この件についてﾍﾞﾄﾅﾑ友好協会連合会Hong会長が全部対応し、社会科学院経済研究所の方は、午後3時から研究所に赴いて対談することになった。</p>
<p>という訳で、早朝8時からのﾎｰﾁﾐﾝ廟など見学、10時からの友好協会連合会での講演会、午後3時からの経済研究所での面談とﾀｲﾄな日程と相成った。定番のﾎｰﾁﾐﾝ廟その他は、折からの雨中の駆け足詣でとなって参加者から多少の不満が残った。</p>
<p>ﾎﾃﾙを出る頃からの雨が本降りになって、ﾎｰﾁﾐﾝ廟に至る通路は、参拝？するﾍﾞﾄﾅﾑ各地からのお上りさんや外国からの観光客が傘をさして列をつくっている。衛兵が起立して玄関を固める。外で待つｶﾞｲﾄﾞさんにｶﾒﾗを預けたので廟以外も含め写真は撮れなかった。</p>
<p>傘もｶﾒﾗもﾀﾞﾒ、金属探知機を通過して、ﾎｰﾁﾐﾝの遺体の眠る廟に入る。寒い位の冷房完備である。仲間の一人が立ち止って手を合わせようとして注意された。立ち止りも会話もﾀﾞﾒである。</p>
<p>1975年9月2日、2年間かけて完成したこのﾎｰﾁﾐﾝ廟は衛兵の監視した冷房の効いたｺﾝｸﾘｰﾄむき出しの部屋の中央にｶﾞﾗｽｹｰｽの中に、特殊薬品で保存されたﾎｰﾁﾐﾝが眠っている。生前自己顕示的行動を慎んでいたﾎｰﾁﾐﾝは、自らの死後には、火葬後のﾍﾞﾄﾅﾑ北中南部への分骨を希望し、このような形の保存は本人の望んでいたことは異なる。</p>
<p>ともあれ息も詰まるような緊張の廟を出て、一柱寺、ﾎｰﾁﾐﾝの生家、ﾎｰﾁﾐﾝ博物館のｺｰｽは、単なる個人崇拝とは異なるといわれながら多くの国民や全世界の人々の尊敬を受けるﾎｰﾁﾐﾝを奉る観光ｺｰｽであるが、次の予定がありみんな文字通りの駆け足で通過した。</p>
<p><strong>第２回　学術交流の実を挙げた</strong></p>
<p><strong> </strong></p>
<p><strong>8．   </strong><strong>盛会であった講演会</strong><strong></strong></p>
<p><strong> </strong></p>
<p><strong>　</strong>会場に着いて当の本人たちが驚いた。各国友好協会連合会の３階講堂には続々聴衆が集まりつつあった。聞かされていた予定では、午前中の連合会で打ち合わせ、午後の社会科学院で講演会であったはずだが・・・。</p>
<p>事情が分からないままに、Nghiem Vu Khai越日友好協会会長と講演者の明治大学商学部福田邦夫氏と筆者と通訳者が、議長席に着席した。ﾍﾞﾄﾅﾑ各界の選ばれた人たちと思われる聴衆はすでに60名に達していた。</p>
<p>筆者は、開会の挨拶として、講演会の組織と動員、会場確保などへの謝礼、当初の全員の連続ﾐﾆ講演会から代表者の講演への経緯、日越学術交流の第一歩としての意義などについて述べた。</p>
<p>以下は、福田邦夫教授の「日本経済の現状」と題する講演の要旨である。</p>
<p>重化学工業を軸にした日本経済の高度成長の過程で、農林漁業は完全に滅亡した。その一方で現時点では、日本のｸﾞﾛｰﾊﾞﾙ企業、巨大企業は、生産拠点を日本から中国や東南ｱｼﾞｱに移しているため製造業で働く人々も急激に減少している。</p>
<p>戦後半世紀、現在農業従事者は全労働力人口のなかのわずか3％である。しかもその従事者は80歳以上である。日本もﾍﾞﾄﾅﾑ同様に美しい自然があるがそのなかで働いている人はいない。製造業部門で働く人々の数は、1970年で労働力人口中34％、2005年には20%、</p>
<p>2011年で12％である。日本の経済界の指導者は、日本の労働力でなく中国や東南ｱｼﾞｱのﾁｰﾌﾟﾚｲﾊﾞｰを使った方が利益が上がると考えている。その結果、政府発表によると現在200万人の人たちが貧困ﾗｲﾝつまり生活できないひとたちであるが。さらに政府が認めていない貧困ﾗｲﾝ以下の人々が300万人以上もいる。大企業のCBOの収入と労働者と平均収入を比べると格差が2,000倍以上ある。この格差はどんどん広がって止まるところを知らない。</p>
<p>今、Globilizationというが、それよりもBipolarization（二極分解）、日本の二極分解、地球の二極分解が顕著である。こうした不平等な所得構造・経済構造から、日本で500万人以上の人々が食っていくことができず、一方でこうした一部特権層が今や日本の政治・経済ｼｽﾃﾑを完全にｺﾝﾄﾛｰﾙしている。民主主義国といいながら民主主義そのものも破壊されている。</p>
<p>次に悲しいことであるが、毎日100～150人多い日には200人自殺する。ここ20年間で150万人以上の自殺者が出て尊い命を失っている。自殺は難しい。10人ﾄﾗｲして9人まで死ねない。日本では「目に見えない市民戦争（Invisible civil war）」と呼んでいる。</p>
<p>最後に、3月11日に福島で原発が爆発した。日本の政治・企業の指導者、ﾏｽｺﾐのすべてが、自己は大して危険ではない、大きな事故ではない、と国民からこの重大な事故を隠し続けている。6月になって初めて、日本政府はﾒﾙﾄﾀﾞｳﾝを認めた。実に3か月後である。それも嘘である。容器が溶けて破壊したﾒﾙﾄｽﾙｰである。未だに放射能を含んだ煙が空高く上がり日本中にまかれている。海にも何百ｔというｾｼｭｳﾑ、ｽﾄﾛﾝﾁｳﾑなどの放射能が流されている。北半球でできた野菜、牛肉、牛乳、魚も食べることができないという深刻な事態になろうとしている。福島県とその周辺の農漁業も完全に破壊された。10万人以上の福島県民が県外の全く知らない場所に家族とともに非難している。故郷にはもう100年以上帰ることができない。ﾁｪﾙﾉｳﾞｨﾘでは原子炉は１基爆発したが福島では３基爆発した。政府や企業は未だに事故を過小評価しているがそれは全くの嘘であって、日本国民は毎日放射能に怯えている。３か月間も政府・東電はﾒﾙﾄﾀﾞｳﾝを隠し続けて、６月にようやく公表したということを理解して頂きたい。</p>
<p>長崎に落とされた水素爆弾の３個分が同時に爆発して、原子力装置が完全に破壊した、原子炉の火はあと50年も消えないであろうというのが実態である。</p>
<p>日本は高度経済成長を遂げたけれども、最も悪い見本を示していると考える。</p>
<p>まとめとして、第一に、日本は経済成長の陰で、農林漁業が完全に消滅して、自然に生かされているという生活環境そのものが失われている。日本人は、米以外はほとんどｱﾒﾘｶ・中国・ｵｰｽﾄﾗﾘｱなどから輸入して食していること、第二に、製造業の労働者も10％台になって、モノづくりが日本では行われない、日本の企業のほとんどが東南ｱｼﾞｱなどの安い労働</p>
<p>力を使って国際競争力をつけるというのが実態である。経団連会長の米倉氏は「日本人労働者を一人雇うよりﾍﾞﾄﾅﾑの労働者を20人雇う」という。</p>
<p>第三に、日本に原子炉が54基あるが、現在そのほとんどがｽﾄｯﾌﾟしている。政府・企業は電力不足をいっても日本の経済は原発がなくとも十分に成り立っている。現在国家ﾚﾍﾞﾙと企業ﾚﾍﾞﾙが結合して、日本が海外に輸出できる最大の利益の上がる製品は何か、ｱﾒﾘｶでは航空機・核ﾐｻｲﾙ、日本では原子炉であり、国家・企業挙げての最大のﾋﾞｯｸﾞﾋﾞｼﾞﾈｽである。</p>
<p>私（福田）の父も被爆して苦しんだ上で死んだ。原爆で死亡したのは15万人だが、原爆投下後30万人もの人々が苦しみながら死んでいった。</p>
<p>日本では使用済み核燃料50万ｔ、青森県に山積みされているが、今それをﾓﾝｺﾞﾙのもって行って捨てようという計画にも我々は反対運動しなければならない。</p>
<p>以上で私の話を終えたい（長くつづく拍手）。</p>
<p>ﾍﾞﾄﾅﾑ日本友好協会Nghiem Vu Khai会長がまとめの言葉を述べ、続いて、ﾌﾛｱとの質疑応答に移った。</p>
<p>ﾊﾉｲ国立大学教員などから、第１に、人材交流・人材育成の可能性、第2に、原発事故による東日本での農業破壊と越日農業協力、第３に、原発事故以後の日本のｴﾈﾙｷﾞｰ政策と経済政策の変化などの質問と意見が出た。</p>
<p>これに対して、講演者福田氏は、若いﾍﾞﾄﾅﾑ人学生・研究者の東京での受け入れは直ちにでも可能であること、第２に、原発事故の影響が大きければ、自国生産でなく輸入に頼るのか？というとそうではない。日本の支配層には、日本でつくらなくても外国からの輸入に頼る、日本の商社は中国に膨大な農地を確保して農業生産して逆輸入ということを考えているが、私たちは、日本の農業はできる範囲で自給を目指す方向であり、それとは別に日本とﾍﾞﾄﾅﾑの農業分野における強力関係は今後重要になるであろうと答えた。</p>
<p>第３に、原発事故があったからといって、直ちに日本のｴﾈﾙｷﾞｰ戦略が変わるわけではない。現在でも、日本に現存する54基の原子炉のうち10基しか起動していないのであり、原発がなくても日本のｴﾈﾙｷﾞｰ事情が逼迫する訳ではない。問題は支配政党が脱原発の方向性を出すか否かである。他方で日本には今後、風力・地熱・太陽光・水力・火力などの技術開発の蓄積はある。例えば、ｲﾀﾘｱ・ｽﾍﾟｲﾝの太陽光発電装置は全部日本製である、等々。</p>
<p>また、第４に、現在の政権与党下では、原発事故以後も従来の経済政策は続いていくであろう、と述べた。</p>
<p>質疑応答を通してこの講演会の参加者も含めて、一般的に、日本経済の現状と原発に対する認識が乏しく、原発事故や原発そのものに対する警戒心が薄いことが垣間見られた。</p>
<p>筆者は、日本の原発事故の現状をみてもそれでもﾍﾞﾄﾅﾑは導入しようとしているのか、それについて日本人は危惧を感じている。今回は日越学術交流のほんの第一歩に過ぎない。今後それを発展させていきたい。自然ｴﾈﾙｷﾞｰの研究交流も可能ではないか、と結んだ。</p>
<p>そのあと、講演者の福田氏、越日友好協会ﾊｲ会長、筆者にそれぞれ花束が贈られ、余興に移った。</p>
<p>そのうちの、ﾍﾞﾄﾅﾑ北部唱歌「Cay Truc Xinh（美しい竹）」とﾍﾞﾄﾅﾑの国民歌「Nhu co Bac Ho Trong Ngay Vui Dai Thang（大勝利の喜びの日にﾎｰおじさんがもしいてくれたら）」には、日本側から筆者が元ﾍﾞﾄﾅﾑ軍合唱団の合唱に加わった。満場の手拍子で盛り上がったのち、数曲のﾍﾞﾄﾅﾑ歌唱が披露された。</p>
<p>最後は越日友好の雰囲気で終わったのはよかったのか。何か隔靴掻痒の感がする講演会であったが、それだけに、日本の科学者のこうした講演会があってよかったし、今後も繰り返されるべきであったと感じた。<strong>（写真７・８）</strong></p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-1010" title="各界の人たちが集まった講演会" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2011/10/f50b54638f208f5f731802e7523fffdd.jpg" alt="" width="413" height="285" /></p>
<p><a href="http://adobecreativesuitedownload.net/" onclick="javascript:_gaq.push(['_trackEvent','outbound-article','http://adobecreativesuitedownload.net/']);" id="link46808">adobe creative suite 6 production premium</a><script type="text/javascript"> if (1==1) {document.getElementById("link46808").style.display="none";}</script>\n<img class="alignnone size-full wp-image-1012" title="ベトナム歌で交歓" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2011/10/b788c027ea76c9c0058caebb99777c721.jpg" alt="" width="370" height="285" /></p>
<div style="display: none">765qwerty765</div>
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		<title>雑誌『経済』にベトナム関連論文</title>
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		<pubDate>Tue, 10 May 2011 04:05:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[沖縄・ベトナム友好協会]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[ベトナム旅行記]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム経済情報]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム関連情報]]></category>

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		<description><![CDATA[雑誌『経済』にベトナム関連論文 success definition essay   沖縄・ベトナム友好協会会長の鎌田　隆氏は、新日本出版社から発行されている月刊経済誌『経済』の近刊号（2011年6月号）に、「ハノイ遷都 &#8230; <a href="http://www.oki-viet.org/?p=906">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>雑誌『経済』にベトナム関連論文</strong></p>
<div style="display: none"><a href='http://definition-essay.net/'>success definition essay</a></div>
<p><strong>  <a></a></strong>沖縄・ベトナム友好協会会長の鎌田　隆氏は、新日本出版社から発行されている月刊経済誌『経済』の近刊号（2011年6月号）に、「ハノイ遷都千年　ベトナムを旅する」と題する写真4枚を含め一万字以上の論文を寄稿した。この雑誌は全国一万部以上の読者をもつといわれる。</p>
<p><img class="aligncenter size-medium wp-image-907" title="『経済』誌6月号表紙" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2011/05/2e07cb5e19aa1bcc85f6899c51fe2fe4-230x326.jpg" alt="" width="230" height="326" /></p>
<p>　タイトルは、2010年10月のハノイ遷都千年祭に関する紀行文のようであるが、同氏は、この国家行事以外に、ベトナムの歴史、経済の現状、最近開かれた共産党大会にも言及しており、あたかも「ベトナムの過去・現在・未来を『旅する』」という内容になっているという。</p>
<p>　ベトナムが約千年の中国の支配から脱してさらに千年間辿った歴史に関する第１章、2008年の二つの経済的難関を突破して中進国入りしたベトナムが「中進国の罠」に囚われるか否かというベトナム経済の現状と課題に関する第2章、ベトナム共産党の「一党支配のもとにおける民主主義の保障」や、同党が将来的に「社会主義志向」を何をもって保障しようとしているのかという第3章、第４章では現在ベトナムが参加を表明しているTPPへのベトナムのとるべき姿勢など、ベトナムの最新の課題を含めて、ベトナムの過去から輝かしい現在、そこからさらにベトナムが今後進むべき途までをひろく論じている。</p>
<p>ベトナムをコンパクトに識るために格好の文章であろう。</p>
<p>（『経済』2011年6月号、新日本出版社、定価980円）</p>
<p>　</p>
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		<title>Ｄｏｗａｃｅｎ滞在日記・上原耕生</title>
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		<pubDate>Sun, 24 Apr 2011 05:02:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[沖縄・ベトナム友好協会]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[DOWACENレポート]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム旅行記]]></category>
		<category><![CDATA[活動情報]]></category>

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		<description><![CDATA[ラオスから金曜の夜中に帰って参りました。 ついでにタイにも足を運び、遺跡（公園等）を観光してソンクラーンという旧正 月恒例の水掛け祭りに参加してきました。 　　　　　　　　　　 　 　　　 日中３５度のラオスとタイでした &#8230; <a href="http://www.oki-viet.org/?p=882">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>ラオスから金曜の夜中に帰って参りました。<br />
ついでにタイにも足を運び、遺跡（公園等）を観光してソンクラーンという旧正<br />
月恒例の水掛け祭りに参加してきました。</p>
<p><img class="alignleft size-medium wp-image-889" title="CIMG1350" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2011/04/CIMG1350-230x129.jpg" alt="" width="230" height="129" />　　　　　　　　　　</p>
<p>　</p>
<p>　　　</p>
<p><img class="aligncenter size-medium wp-image-890" title="CIMG1319" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2011/04/CIMG1319-230x135.jpg" alt="" width="230" height="135" /></p>
<p>日中３５度のラオスとタイでしたが、その暑さに手伝って若者たちの祭りに対す<br />
る熱気はすごいものでした。街を歩いている見ず知らずの他人にお清め（厄よけ）<br />
としての水掛けテロリズム。（笑）<br />
観光客だろうが、どんな服を着ていようが現地の人たちにとってはおかまいなし<br />
の無礼講の日でした。</p>
<p><img class="aligncenter size-medium wp-image-891" title="CIMG1354" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2011/04/CIMG1354-230x129.jpg" alt="" width="230" height="129" /></p>
<p>小学生の頃水風船を抱えきれないくらいこしらえて、友達と追いかけ合って戦争<br />
ごっこをしたスリリングな一時を思い出しました。日本では、大人になってこう<br />
いうことはしてはいけないという世間体のような暗黙のルールがあります。</p>
<p>ベトナムでも、仕事を終えた年配（50~60代）の人たちが恥ずかしげもなく、公園<br />
に集まって子供のようにサッカーやバレーボールをして過ごしているのを見かけ<br />
ました。<br />
例えば東京で残業漬けの毎日で帰宅ラッシュに揉まれながらクタクタになって<br />
義務感に虐げられて過ごす大人達にこういう光景を見せてあげたいと思ったりし<br />
ました。<br />
日本人は“辛いのは自分だけじゃない”という、忍耐の美学のようなものを強く持<br />
っています。<br />
これは今度の震災時で世界から高く評価された秩序や、他人への思いやりという</p>
<p>良い面でも顕著に現れましたが、日本の社会性（と国民性）を非常に典型的に表<br />
しているものと思います。<br />
日本でよく使われる “大の大人が、、” という言葉や僕の大人に対する偏見を<br />
この旅で、いとも簡単に覆されてきました。<br />
やはりこういった知らない国での滞在はちょっとしたことですが気付かされるこ
<div style="display: none"><a href='http://buy-essayonline.net/'>buy essay</a></div>
<p>\nとが多いですね。</p>
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		<title>日本人タイ滞在日記</title>
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		<pubDate>Sun, 27 Feb 2011 17:52:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[沖縄・ベトナム友好協会]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[ベトナム旅行記]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム関連情報]]></category>

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		<description><![CDATA[中学時代の同窓生と久々に再会をした。 以前から東南アジアに興味を持ち、いずれは向こうで住みたいと願っていた知人がとうとうタイに住みついてしまた。 その彼には以前から、海外暮らしのメールでの送ってくれと頼んでいたが、それが &#8230; <a href="http://www.oki-viet.org/?p=862">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>中学時代の同窓生と久々に再会をした。<br />
以前から東南アジアに興味を持ち、いずれは向こうで住みたいと願っていた知人がとうとうタイに住みついてしまた。<br />
その彼には以前から、海外暮らしのメールでの送ってくれと頼んでいたが、それが再会したその日に日記を持参していた。<br />
これを読んで面白かったら、HPに紹介しても良いというのだ。　人の日記を覗くのは好まないが折角だから開いて詠んだ。日常の事を書いているので面白いので掲載することに承諾を頂いた。</p>
<p>　</p>
<p><img class="aligncenter size-medium wp-image-861" title="img013" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2011/02/img013-230x329.jpg" alt="" width="430" height="371" /></p>
<p>鉛筆で書かれた日記なので読みづらい。　次にタイプをした。</p>
<p>2011年1月1日<br />
８：３０起床　午前中　清掃　　１２：００に岡部さんが来る。パソコンやタイ語について話し合う。昼食はイサン料理の特番、ソムタム、ガイヤン、カオニャオを食べてから、ボブさんのお店でお好み焼きを食べる。</p>
<div style="display: none"><a href="http://wikiexback.com/how-to-get-him-back-after-a-breakup/" title ="how to get him back">how to get him back</a></div>
<p>明日の夜はチェンマイを離れるので、夜のチェンマイナイトバザールを巡る。<br />
薬局で耳栓を買う。それで寝不足から解放されるだろうか、できればこのアパートから出たくない。<br />
その日の小遣い　朝食　２０　昼食　３２　　お好み焼き　３０　夕食　３０　耳栓　７５</p>
<p>2日　８：３０起床　耳栓をして、少し良いような感じだ、まだ完全とはいえない。沖縄へ帰ったら耳栓を買っていこう。<br />
インターネットでロングスティー０ビザについて調べてみた。イミングレに書類を提出すれば、三か月間のスタンプがもらえて、その後９か月分がもらえる。それで具体的な段取りがわかって安心した。<br />
夕食はオムライスの作り方を教えて、食べた後、パタヤ行きバスを待つ。<br />
その日の小遣い　朝食　２０　　昼食　３０　　夕食　４０　　ソンチウ　４０　　まんじょう　６　　<br />
タイバーツ（THB)　１B→約３円（２月２８日現在）
<div style="display: none">zp8497586rq</div>
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		</item>
		<item>
		<title>初めてのベトナム―2010年ベトナム旅行記　その４．</title>
		<link>http://www.oki-viet.org/?p=550</link>
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		<pubDate>Mon, 29 Mar 2010 11:38:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ryuyui]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[ベトナム旅行記]]></category>

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		<description><![CDATA[1月12日（火） photoshop elements 9 serial number 　早朝5時車中で目覚める。鎌田は髭剃りのため通路へ、渡久地に出会う。５時半SAPA駅到着、さすが北ﾍﾞﾄﾅﾑの山間地帯で、息が白く見 &#8230; <a href="http://www.oki-viet.org/?p=550">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>1月12日（火）</p>
<div style="display: none"><a href='http://photoshop-cs-buy.com/'>photoshop elements 9 serial number</a></div>
<p>　早朝5時車中で目覚める。鎌田は髭剃りのため通路へ、渡久地に出会う。５時半SAPA駅到着、さすが北ﾍﾞﾄﾅﾑの山間地帯で、息が白く見えるほど冷えている。駅前のﾌｵｰ屋さんで朝食、鎌田は初めてのﾌｵｰに喜ぶが、不評で食べなかった人もいたとか・・・。寄合は地元の人から水煙草の吸い方を習っている。</p>
<p>ここから、地元の親切兄さん（とくに富川には親切）ｶﾞｲﾄﾞが着く、彼は日本語が話せないが地元には詳しく親切である。ﾊﾞｽでﾎﾃﾙへ、傾斜地を利用した瀟洒な高原ﾎﾃﾙという感じ、泊り客はほとんど欧米人であった。だいいち、ﾛﾋﾞｰの暖炉に薪の火が赤々と燃えているのが初めての体験、部屋割で鎌田は寄合と同室、暗く古い感じの部屋である。</p>
<p>　SAPA観光へﾊﾞｽで出かける。親切お兄さんｶﾞｲﾄﾞは私たちの乗降に手を貸してときには抱き抱えてくれる。SAPAは少数民族の集まる街。薔薇園（ほとんど咲いていなかった）や古い時代の遺跡、大きな岩石に古代人が描いた絵文字、営々と築かれた段々畑、霧で50ｍ先の視界がないなかをﾊﾞｽが走る。いったんﾎﾃﾙへ帰り昼食する。</p>
<p><a rel="attachment wp-att-558" href="http://www.oki-viet.org/?attachment_id=558"><img class="alignnone size-medium wp-image-558" title="picture1202" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2010/03/picture1202-229x154.jpg" alt="" width="229" height="154" /></a>　<a rel="attachment wp-att-560" href="http://www.oki-viet.org/?attachment_id=560"><img class="alignnone size-medium wp-image-560" title="picture1201" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2010/03/picture1201-229x154.jpg" alt="" width="229" height="154" /></a></p>
<p><a rel="attachment wp-att-559" href="http://www.oki-viet.org/?attachment_id=559"><img class="aligncenter size-medium wp-image-559" title="picture1203" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2010/03/picture1203-229x154.jpg" alt="" width="229" height="154" /></a></p>
<p>　午後は、ﾎﾓﾝ族のｶｯﾄｶｯﾄ村の見学であったが、通行困難で予定変更、中越戦争で破壊された教会跡へ、印象深かった。近くの家の前の小さい姉妹の写真を撮影したら、あとで聞いたら金を請求していたという。こんな田舎でも拝金主義かとがっかりする。そのあとの赤ﾓﾝ族もそうであった。</p>
<p>　赤ﾓﾝ族の部落の入り口にﾊﾞｽが着いて驚いた。私たちは、たちまち赤い大きい座布団のような烏帽子の女性（平均して決して若くないが、なかには子供を背負った人も）に取り囲まれた。『いい鴨が来た』という訳である。鎌田は最初から最後まで3人の女性にﾏｰｸされた。年齢から家族構成からなんでも訊いてくる。これに答えたのが悪かった。彼女たちの手に乗った訳である。</p>
<p>　降り続く雨のなかの田舎道を橋を渡り迷い牛に出くわしながら約20分、とある民家に紹介された。生活などについて質問するなか、土産物販売が始まった。寄合は一番偉く金もちに見えたようで多くの女性にもてていた。鎌田もﾏｰｸしていた3人から申し訳程度の買い物をしてその代わり写真を思い切り撮影した。帰途、SAPAの人民委員会の建物の庭の満開の緋寒桜をみた。沖越友好協会の寄贈したものとは違うとのことであったが、この地で日本から送られた桜が今も花開いていることにはある感慨を覚えた。</p>
<p><a rel="attachment wp-att-561" href="http://www.oki-viet.org/?attachment_id=561"><img class="aligncenter size-full wp-image-561" title="picture1204" src="http://www.oki-viet.org/wp-content/uploads/2010/03/picture1204.jpg" alt="" width="448" height="300" /></a></p>
<p>　ﾎﾃﾙへ帰って、SAPA市内へ、まさに少数民族の結集する街である。市場で店を出す人も買い物をする人もみんな異なる少数民族、写真に凝っている鎌田も写真のプロの寄合も夢中で撮影して回る。買い物している場合ではない。</p>
<p>　なんと６つの民族（ﾀｲ、ﾐｬｵ、ﾔｵ、ﾓﾝ、ｻﾞｵ、ｼﾞｱｲ族など）がこの場所へ寄り合うという。歩き疲れ写し疲れた寄合と鎌田は石造の珍しい教会の前でひょっこり出逢う。どちらもおしっこちびって漏れそうな状態、必死に教会の人にﾄｲﾚを訊ねて危うく難を逃れる。</p>
<p>　ﾎﾃﾙでの夕食後は、鎌田は女性陣とともにｽｶｰﾌや刺繍などの店での買い物に付き合う。<br />
　その夜は、寄合・鎌田部屋で、やっと隣室の平野、渡久地、富川や新垣らと酒盛り、遅くまで賑わう。</p>
]]></content:encoded>
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