カテゴリーアーカイブ: ベトナム関連情報

沖縄・ベトナムを語る その2

沖繩・ベトナムを語る。
沖縄ベトナム友好協会
名誉会長 福地嚝昭

 

当時、枯れ葉剤は除草剤として使われていた。基地のある所は至る所で、オイル漏れなどがあり、枯れ葉剤もしかりである。ベトナム戦争によるこれらの漏れは現在も尾をひいておる。「追跡・沖縄の枯れ葉剤」著書に詳しく書かれてる。

沖繩南部の瀬長島では枯れ葉剤の影響で魚の死骸が散乱してしていた。これは飛行場からの漏れた枯れ葉剤の影響である。

他の資料には、私の著書「美しい国ベトナム」にも書かれておる。

沖繩ベトナム友好協会とベトナムとは、当時の副大統領ビンさんが沖縄を訪問、また越日友好協会の会長も沖縄を訪問、互いの交流は経済だけではなく文化交流をも広げた。アメリカや日本は、ベトナム戦争への反省がない。
映像の時間に制限があるため部分をカットしております。

なお、書き起こしもバラバになっておりますが、よろしく。

雑誌『経済』にベトナム関連論文

雑誌『経済』にベトナム関連論文

  沖縄・ベトナム友好協会会長の鎌田 隆氏は、新日本出版社から発行されている月刊経済誌『経済』の近刊号(2011年6月号)に、「ハノイ遷都千年 ベトナムを旅する」と題する写真4枚を含め一万字以上の論文を寄稿した。この雑誌は全国一万部以上の読者をもつといわれる。

 タイトルは、2010年10月のハノイ遷都千年祭に関する紀行文のようであるが、同氏は、この国家行事以外に、ベトナムの歴史、経済の現状、最近開かれた共産党大会にも言及しており、あたかも「ベトナムの過去・現在・未来を『旅する』」という内容になっているという。

 ベトナムが約千年の中国の支配から脱してさらに千年間辿った歴史に関する第1章、2008年の二つの経済的難関を突破して中進国入りしたベトナムが「中進国の罠」に囚われるか否かというベトナム経済の現状と課題に関する第2章、ベトナム共産党の「一党支配のもとにおける民主主義の保障」や、同党が将来的に「社会主義志向」を何をもって保障しようとしているのかという第3章、第4章では現在ベトナムが参加を表明しているTPPへのベトナムのとるべき姿勢など、ベトナムの最新の課題を含めて、ベトナムの過去から輝かしい現在、そこからさらにベトナムが今後進むべき途までをひろく論じている。

ベトナムをコンパクトに識るために格好の文章であろう。

(『経済』2011年6月号、新日本出版社、定価980円)

 

日本元気祭り、ベトナム2011

 先週(4月16-17日)、ハノイには文化交流として「日本元気祭り、ベトナム2011」という祭りが開催されました。ハノイの大学生たちを初めとしてハノイの人々が大勢 参加しました。私も越日友好会会長、事務局長さんなどと共に 開幕式に出席しました。よさこいパレードも行いました。日本から 4つのよさこいチームがハノイに来て ハノイのベトナム青年たちの7つのよさこいチームと一緒に公演することを見ました。とても 楽しくて元気的なことでびっくりしました。日本から持ってきた桜の花の木も 庭の中に展示してハノイの人々を引き寄せました。東日本大震災の方々のためのチャリテイーイベントとしてもしました。1枚の写真を送りますからごらんになってください。
レポーター:Le Thi Binh
レテイビン

日本人タイ滞在日記

中学時代の同窓生と久々に再会をした。
以前から東南アジアに興味を持ち、いずれは向こうで住みたいと願っていた知人がとうとうタイに住みついてしまた。
その彼には以前から、海外暮らしのメールでの送ってくれと頼んでいたが、それが再会したその日に日記を持参していた。
これを読んで面白かったら、HPに紹介しても良いというのだ。 人の日記を覗くのは好まないが折角だから開いて詠んだ。日常の事を書いているので面白いので掲載することに承諾を頂いた。

 

鉛筆で書かれた日記なので読みづらい。 次にタイプをした。

2011年1月1日
8:30起床 午前中 清掃  12:00に岡部さんが来る。パソコンやタイ語について話し合う。昼食はイサン料理の特番、ソムタム、ガイヤン、カオニャオを食べてから、ボブさんのお店でお好み焼きを食べる。

明日の夜はチェンマイを離れるので、夜のチェンマイナイトバザールを巡る。
薬局で耳栓を買う。それで寝不足から解放されるだろうか、できればこのアパートから出たくない。
その日の小遣い 朝食 20 昼食 32  お好み焼き 30 夕食 30 耳栓 75

2日 8:30起床 耳栓をして、少し良いような感じだ、まだ完全とはいえない。沖縄へ帰ったら耳栓を買っていこう。
インターネットでロングスティー0ビザについて調べてみた。イミングレに書類を提出すれば、三か月間のスタンプがもらえて、その後9か月分がもらえる。それで具体的な段取りがわかって安心した。
夕食はオムライスの作り方を教えて、食べた後、パタヤ行きバスを待つ。
その日の小遣い 朝食 20  昼食 30  夕食 40  ソンチウ 40  まんじょう 6  
タイバーツ(THB) 1B→約3円(2月28日現在)

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ベトナム俳句事情

越日文化クラブ設立(2010年10月24日)

ベトナムの人々が俳句を読むようになったのは、2006年ごろと言ってよいでしょう。もちろん数十年前にサイゴン(現ホーチミン市)で日本の俳句について紹介したり、翻訳した方々はおったようですが、広がりを見ることはなかった。勢の人々に関心を持つようになったのは2006年からだった。

 
越日文化クラブ発足式(祈念写真)                    俳句クラブのメンバー

在ホーチミン市の日本総領事館と若者新聞・BAO TUOTTRE により開催した越日俳句コンテストが切っ掛けにホーチミン市の外国文学の教授、教師たちの積極的な運動で、ホーチミン市俳句クラブが成立された。 今日まで二回、同じコンテストを開催したので、全国、特に大きな都市に俳句を詠む大学生、外国文化学の教師、外国文学研究者など詩を愛する人たちの間にブームになった。

        越日友好協会会長、鳩山元総理、在ハノイ大使
                                             会の発足に参加を頂きました。                         

    ハノイとホーチミン市の俳句クラブの正式なメンバー数は、今日百人を数えるがそのほとんどは日本語が出来ない。でも、日本の文化、日本の文学が好きな人たちで、特に短くて意味深い俳句形を好んでいる。
ベトナム語と日本語のとの言語構造に違いがあり、日本語の俳句5-7-5を遵守するのが難しいが、短い三行詩だと言って良い。
これからも俳句人口は増えることでしょう。

\n                                                                                レポーター:L T B

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