平和ツアーに参加して

                    平和ツアーに参加して

                                                                     仲程順子

以前からベトナムに行ってみたいと思っていたので、話があったときはすぐに飛びついた。

2月15日 11:55出発。台北経由にて、15:40 ハノイ着。この時点で時間がどうなっているのかチンプンカンプン。バスから見たハノイの景色は全体的にまるで霧がかかっているよう。

順霧

ホテルから見た街・一面が霞んでいる

(添乗員のロンさんのベトナムについての説明)

〇米の生産高はタイと1、2位を競っている。

〇平均年齢が28歳で、子供が多い。

〇工業国をめざしていて、現在の農業人口は全国民の70%だが、10年後は半分に減ると思われる。

〇2018年には原子力発電が完成する 等々・・・

2日目、午前、民族博物館見学。ベトナムは50余の少数民族で成り立ち、着物、建物、道具などの展示があり手作りの温かさに心がほっこり。特に刺繍に興味を持った。また、仏壇は沖縄の仏壇と共通するのがあり親しみをおぼえた。

順子1

午後は楽しみにしていた農村との交流。バスから降り、川に沿った農道を歩いて屋敷内に入ると家畜小屋があり池には魚がいて、幼い頃よく遊びに行った近所の家へタイムスリップしたようで懐かしかった。オーダー、カマ、つるべ(沖縄の方言でチー)など、沖縄でかつて使っていた農具とよく似ている。また田植えの見学では、今でこそ沖縄では田んぼはほとんど見られなくなったが、機械ではなく大勢で手で植えている風景には、助け合い協力し合いのユイマールの精神がまだ残っていることを感じた。その後の食事会でも、親族が集まり身近な食材での手料理は大変美味であった。お酒も自家製とは。また、私たちの合唱に、1人1人が心から喜んでくれた。小さい子供までみんなで踊ったカチャ一シーで一体となりさわやかな汗を流した。農家の皆さんの心添えが温かく、別れの時はジーンとくるのがあった。

農家

3日目、各国友好協会連合会にて、安田純治氏の東日本大震災報告会があり、その中で38年前から原発の危険性を指摘していたこと、在外国研修生の問題、原発事故について話された。その後、ラムさんの詩や俳句の朗読があり、こんなに遠いベトナムでも、福島の痛みを親身に感じていることを知った。

報告会交流集会詩人

しかし、昼食に使ったレストランで、お茶代が日本円で1,400円と高かったにもかかわらず、2人分もボッたくられたのはとても残念に思った。

4日目。カンザーのマングローブ林をNGOの浅野さんの案内で見学。どれだけの人がこの中を泣き叫びながら、砲弾の中を逃げ回り、血を流しただろうなど思いながらマングローブの林の中へ入っていった。緑一つ無かった地がみんなの努力のおかげで緑の素晴らしい大地に再生されていることに、最初は憂鬱だった私の心が感動に変わった。

マングローブと川5日目。戦争証跡博物館見学。悲惨な写真ばかり。沖縄戦を体験した金城さんが「沖縄もこんな状態だった。」とおっしゃられた。戦争は殺すか殺されるか。また、罪もない子供たちや女たち老人まで住民が巻き添いにされる戦争。今、日本は怪しい方向に向かっているのではと危惧されるが、戦争は絶対にしてはならない。みんなで一丸となって止めなければ。沖縄に住んでいて、法もまったく無視する国のやり方に、日本の民主主義はもう無いのではないだろうかと思える。

また、侵略戦争と戦った女性は、容姿も変わるほどものすごい拷問を受けた。いろいろあったろうが今は幸せに生活をしているということだったのでホッとし、嬉しかった。

午後のツーズー病院平和村では、まず胎児の標本に枯葉剤の汚染の強烈さに唖然とした。お母さんの温かい腕の中に抱かれたかったろうに。これが3世代まで続くとはとても恐ろしい。しかし、アメリカは環境への汚染は認めているが、人体への影響は認めてないそうだ。また、アメリカ兵やその子供たちにも影響は出ていて、アメリカ人に対しては保証をしているがベトナム人に対しては保証なしとは。アメリカの傲慢さに心底怒りを覚えた。が、ドクさんがたくましく成長し父親になり、ツーヅー病院で働いていることがとても嬉しかった。

ツーズー病院ドク3

街は活気があり、アオザイを着た高校生、食べ物がとても美味しかったこと、バイクの群、幾重にも絡まった電線、幾何学模様の刺繍の美しさ・・

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もう一度、と言わず何度でも行きたいベトナム。沖縄がウチナー世(ユー)、大和ぬ世(ユー)、アメリカ世(ユー)と変わったように、中国やフランス、アメリカなどから虐げられながらも強く逞しく生きてきて、穏やかな優しい目をした農村の皆さんにもまた会いたい。

そして、あの3,11の再生不可能な原発事故。仮設住宅での皆さんの苦しみや孤独感など福島の皆さんからの話や沖縄の辺野古、高江の問題・・。自分たちのこれまでの生き方はどうだったか、これからどうするべきかを真剣に考えなくちゃいけない等々‥

今回の旅は沢山の事を考えさせられ、私の心の宝物となった。

手作りの平和の旅を企画してくれた、鎌田さんはじめ実行委員の皆様に感謝いたします。