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本の紹介「ベトナムの枯葉剤」~ダイオキシンを追いかけて~

新刊紹介
西村洋一著『ベトナムの枯葉剤』∼ダイオキシンを追いかけて∼
あまりにもショッキングな一冊である。だが、目を背けずに直視して頂きたい、これが枯葉剤被害の真相である。
ベトナム戦争中の1961〜71年この沖縄を最前進基地とする米空軍のC123機編隊などが主にベトナム中南部に散布した「枯葉剤」は約76,000万ℓ。遺伝子異常や癌を発生する猛毒物質ダイオキシンを含む枯葉剤は、あらゆる生物を死滅させる自然破壊とともに、現在に至るまでの人的被害を引き起こした。ベトナム政府が認定する枯葉剤被害者は現在でも約300万人であるが、米政府や製薬企業は米帰還兵への賠償はしても、米政府はその責任や補償を公式には認めていない。米連邦裁も2008年ベトナム被害者の訴えを退けている。ただ2009年5月末になってやっと枯葉剤被害者医療や土壌汚染除去の支援の増額を発表した。

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本著の著者西村洋一氏は、日本のベトナム支援団体の平和特派員として、ホーチミン市在のツーズー病院に駐在していたが、ベトナム滞在期間中に各地に取材・聞き取り・撮影した成果をまとめたのが、本著である。

枯葉剤被害者といえばその象徴としての結合双生児ベト・ドク氏が思い出されるが、本著によって、その被害は私たちの想像以上に多くかつ酷いということを知るであろう。また、本著によって、人間が平穏に健康に生きる権利、教育や就職の機会を奪った枯葉剤の被害は、広島・長崎の原爆被害、沖縄戦の被害にもまさるとも劣らない悲惨で長期であることを認めるであろう。

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ベトナム戦がこの沖縄を最前進基地として展開され、枯葉剤の実験場として沖縄が利用されたという意味で加害の側に立たざるを得ない沖縄県民として、単なる興味本位でなく本著に真剣に立ち向かって頂きたい。そして多くの人たちに伝えて頂きたい。平和を求める多くの活動家や障害者支援のボランテイアやベトナム戦を学ぶ若い世代にも必読の一冊である。

ベトナム紙芝居・まえしろえいことその仲間

5月10日の懇親会のイベントに参加していただいた、ベトナム紙芝居、 演じますのは「まえしろえいことその仲間の皆さん」、ベトナム紙芝居をウェーブ上映での初公開です。 ・太陽は何処から出るの! 作・チュン・ヒエウ 太陽は何処から出てくるの?鹿と猿と蟹が話し合いました。 蟹は海からだ、鹿は山からだ、猿は木の上からと言うのだが、本当は何処からでしょう。

・大切な団扇 脚本・絵、ブイ・ドク・リエン ベトナムのある村に、一人の男の子が居ました。お母さんが作ってくれた団扇で扇いでいると、村一番の金持ちが「団扇を貸してくれ」と言いますが、「大切な団扇だからダメだ」と答えると金持ちは男の子が欲しがりそうなものと、取り替えようと言います。さて男の子は取り替えるでしょうか。 (大人も楽しめる作品です)

他の作品、「象牙の櫛(くし)」 独立と自由の為に戦った、ベトナムの兵士と娘の話は、次の機会の上映を行います。

沖縄・ベトナム友好協会 総会と懇親会

第19回沖縄・ベトナム友好協会 総会が、5月10日(日)母の日に行われました。

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協会の重鎮です。

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ベトナム学生による。ベトナム民謡を披露しました。
懇親会では、参加人数の把握が出来ずに、20名と設定しておりましたが、40名の参加者で、
お客さまには、飲み物と食事の手配が遅れ、ご迷惑をかけました。謹んでお詫び申し上げます。

アジアのなかの沖縄・ベトナム その4

2009年2月28日その日が遣ってきた。まな板に乗った生豚のようにドタバタして落ち着かず、天命に預ける境地は久々に味わうが如く楽しくもあり難しくもある。 そんな自己問答しながら、開演5分前、客の入りを見渡すと、五分の入りの様だ。

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そこでひと安心したのか時間が気になり出して3分前に開会宣言を始めた。 午後9時までに終了を目指して早めに早めに心がけた。 基調講演は東京から、桜井由躬雄先生「生きている農村社会主義」、古田元夫先生「発展のアジアと戦争のアジア」 そして沖縄から比嘉政夫先生「比較民俗学の視点から」を各自持ち時間30分でお願いしたせいか、皆さん早口でしかもはっきり分る言葉で研究の発表を行う。

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左:桜井由躬雄、右:古田元夫

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比嘉政夫、講演は、桜井氏が農村農村から見た現代

古田氏はベトナム戦争を世界から見つめ、また発展するベトナムの現在を報告、そのて比嘉氏はアジアを見つめる民族学からアジアのなかのベトナムと沖縄を解く

そのぞれの基調講演が終わり、魔の休憩となる。何故「魔」なのかそれは客数が極端に減ることが予測されるからだ。 10分後後半の討論会が始まる。 客は半数以上が残った。驚きに近い嬉が込みあがる。 司会は比嘉先生に移り、予めは配布した質問書が回収された。 質問も多岐に渡る。 パネリストの質問に対する答えがとても楽しそうなのが嬉しい。

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多くの質問に答えるパネリスト。
和やかな雰囲気で、質疑がなされたのでとても良かったと思う。 討論の最後に比嘉先生が「多方面からアジアを語るのは討論はこれが始まりであり、これは続ける必要があると」 締めくくった。

\n辛くても遣り甲斐のあるシンポジウムのチャンスを作っていただいた、県立美術館の方に感謝したい。 ありがと、そして多くの参加なさった皆様にありがとう!

アジアのなかの沖縄・ベトナム その一

このシンポジウムの為、いろいろ悩みながら一歩いっぽの手探りで、積み木を重ねるがごとくの日々が幾日も続いた。 特にシンポへの動員をどうするかが、もう1つの課題で告知チラシを増刷してチャンスあらばと、手当たり次第にメデアに出演、FM21に三度、FMトミトンと知人が持つ番組出演した。
効果はリスナーが決めると決め、少しでも多くの人に濃告知できればとの思いが大きいかった。 番組は一時間で、思いの他多く喋れる。 FMトミトンは2時間も頂いたが、新しい局なので、心配!20090303_363698 20090303_363697

マイクに向かうと緊張もするが、2度、3度となると慣れるものだ。特にジュークが飛び出すとスタジオに笑いが出て、話に弾みが付く。 番組ではせっせと「アジアのなかの沖縄・ベトナム」がどんなに意義深いのもかをクドクドと話す会長。 その中で関係が無いように話す私は誰と感じで番組の時間が進み、あっという間に終わる。 お陰で、ムービースターではなくラジオスターになった売れっ子と自負する【嘘】。
それで、メデアの活用は新聞と移る。

\nとても良い企画だと自負しておったが、テーマが地味であることに気づくと人集めに益々努力をすることになる。 行動した分報われるのを信じて日々会長のお供しながらあちらこちらである。