ベトナム中部の連続台風被害について寄付のご協力願い

報道カメラマン/大城弘明×山城博明・写真展

沖縄県出身の報道カメラマン大城弘明氏と山城博明氏の写真展が沖縄県立博物館・美術館で2015年3月28日(土)から4月19日(日)まで開催されます。

大城弘明氏は沖縄タイムス社、山城博明氏は琉球新報社のカメラマンとして沖縄の現状を40年以上にわたり撮り続けてきました。

本展覧会では二人が県民に寄り添いながら人々のくらしの中で受け継がれてきた習俗や祭祀、そして彼らが切り取ったくらしのなかの表情には、引き受けられない現実を生きぬいてきた複雑な心情まで写しだしているように見えます。

御多忙中のところまことに恐縮に存じますが、この機会に是非ご来臨賜り、ご高覧いただきたくご案内申し上げます。

大城弘明・写真展

 

大城弘明・写真展2

 

ベトナムの正月(テト)

ホーチミン特派員の我謝です。
 ベトナムはテト元旦(旧正月)にあたる2/19に向けて賑わってきました。街ではお歳暮がバンバン売れています。既に新暦で正月を迎えた者としては変な感じですが面白いですね!写真はハムギー通りの様子です。http://vietnhat.tv/

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ベトナム・ホーチミンで活躍するウチナーンチュ

ホーチミン特派員の我謝です。ホーチミンで頑張っている、うちなーんちゅに会ってきました。読谷出身の上地さんです。ネットアドレスをクリックすると上地さんの職場のHPがご覧になれます。

http://okinawa.vietnhat.tv/e27433.html

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我謝宗一朗さんのfacebookにも載っております。

我謝宗一朗ホーシミンレポート No.1

2015年2月5日、ベトナム•ホーシミン滞在中の我謝宗一朗さんからレポートが送られて来ました。

こんにちは。1月からホーチミンに来ております我謝(がじゃ)です。不定期ですが日常のベトナムを紹介させて下さい。この写真とバイクの位置がなぜこんなにバイクが近いかと言いますとバイクが歩道で信号待ちしてるのです。ホーチミンは歩道もバイクで賑わっています。

ホーチミンラッシュアワー

ホーチミンラッシュアワー

緊急インタビュー 福地嚝昭に訊く

戦後沖縄戦の歴史のなかでのベトナム戦争と反戦運動から

             2014年12月11日 恩納村仲泊福地宅

ベトナム戦争から得る教訓と反省
  私として、ベトナム戦争について行っておかねばならないことは、ベトナム戦争から出てくる教訓・反省というものがある。

 日本もベトナム戦争支持に回ったが、沖縄が本土から分離さているといっても、実際に基地を提供し米軍の戦争を支持したという反省があるが、沖縄の1950年代の「一括払い反対」闘争のなかでも、「一括支払い」の方が家を買ったり建築もできるという考えが革新政党の一部にもあった。

当時、沖縄教職員会(OTA)は会長屋良朝苗氏、副会長喜屋武真栄氏であったが、当時も「沖縄の人々は熱しやすく冷めやすい」という考えと「沖縄は反米思想が根強いから凶悪事件の裁判は福岡でやれ、沖縄では罰刑が重くなる」という司法についての発言もあり、そのよう諸意見が百出する状態であった。

祖国復帰して最初の公選知事に就任した際に、屋良朝苗氏は言った。祖国復帰は我々が闘いとったものであるが、基地を存続したままの復帰で「決して満足するべきものではない」。「険しい山道を歩いているようなもので会日眠れない」。「これが、我々のやるべき仕事である」。

現在の状況は種々の面でベトナム戦争時と類似している。なぜいつまでも繰り返すのか、いつもでこのようなことが繰り返されるのか、沖縄以外に米軍基地を受け付けろところはない。辺野古が唯一の解決方法であるといって、工事を強行する・・・・。これらは、1950年代アメリカの「土地一括取得一括支払」要求に対しる「土地四原則要求闘争」時とそっくりである。今や保守・革新といっているときではない。洞察力と決断力が求められている。

沖縄戦からベトナ戦争ヘつながる、人間の尊厳を守るためにはいかなる政治家でもかき回すことができないような当時の状況が今日に重なることは非常に残念であるが、今後が大変であるということを最後に強く申し上げたい。

(文責 鎌田 隆)